コイヌール 伝説のダイヤモンド


コイヌール 絶品のダイヤモンド

 

コイヌール ダイヤ

イギリスはダイヤモンドを国石としていますが、そのイギリス王室が所有しているダイヤモンドに、ペルシャ語で光の山(英語で絶品)を意味する”コイヌール”という名のダイヤモンドがあって、これは19世紀までは世界最大のカラット数を誇っていました。

 

もともとこの”コイヌール”はインドにあったもので、ガンジス川の支流であるヤムナー川のほとりに捨てられた子どもの額から発見されたと伝えられ、象使いの娘がその子どもを王宮に連れていったところ、子どもは太陽神の息子「カルナ」であることがわかります。

 

そして、王宮にもたらされた石は、ヒンドゥー教の主神シヴァの彫像の霊感をつかさどる第3の目の位置にはめこまれたといいます。

 

「コイヌール」が歴史書に初めて登場したのは1304年のことで、インド・マルワのラージャ(王)が所有していたと書かれていて、次の記録は2世紀後の1526年にインドでムガル帝国を創設したバーブルの財宝に、この石が含まれています。

 

歴史の舞台へ

ムガル帝国は”コイヌール”を200年にわたり所有し、その後1739年に、ペルシャ王ナーディル・シャーがインドのデリーを略奪したとき、ムガル皇帝であるムハンマド・シャーは略奪をまぬがれた”コーイヌール”を自分のターバンに隠していました。

 

それを知ったナーディル・シャーは宴会を開いてムガル皇帝を招いて、和解の印として自分と相手のターバンを強引に交換して、手に入れることに成功し、手に入れたターバンを自分のテントで開いてみるとそのダイヤモンドが転げ落ちてきました。

 

ペルシャ王は思わず”コイヌール(光の山だ!)”と叫んで、この時から、このダイヤモンドは”コイヌール”と呼ばれるようになり、イラン王室の所有となって、その後も、このすばらしい「光の山」をめぐって多くの企てが繰り返されますが、厳重な警戒体制のもとに管理されて、だれもイラン王室から略奪を成功させることはできませんでした。

 

権力者たちが求める「光の山」

ところが、1747年にナーディル・シャーが旅先からペルシャに帰る途中で暗殺され、”コイヌール”は王位を継いだ孫のルク王の手に渡りますが、当時の権力者のひとりであったアガ王は、ルクの居城であるメッカを攻撃します。

 

そして、ルク王を捕らえると、タール油を頭から浴びせるなど残忍な手口で隠し場所を白状させようとしますが、ルク王は両目を失明しても白状しませんでした。

 

そして、”コイヌール”は、1751年にルク王を助けに来たアフマッド王(ドウラニ・アフガン王国の建設者)に感謝の印として贈られて、アフマッド王の死後、その子タイムールをへて、その長男のザマンが3代目の王位継承者となって”コイヌール”を所有しますが、次男のシュジャ・ウル・ムルクに王位を奪われて、目をくり抜かれて牢獄につながれてしまいます。

 

しかし、ザマンは決して”コイヌール”の隠し場所を白状することなく、独房の壁の中に隠していましたが、あるとき看守に見つけ出されて、シュジャ王が手に入れることとなりますが、このシュジャ王も敗戦で国を追われることになり、”コイヌール”を持ち出してパンジャブのルンジェト・シング王のところに逃げ込みます。

 

表向きは来客でも、実際は人質となり、”コイヌール”は12万5千ルピーでルンジェト・シング王の所有となって、彼は自分のターバンなどに飾り、死後も王宮の宝物館に大切に保存されていました。

 

イギリス王室へ

やがて、1849年に英国がパンジャブを併合したことによって、王家の財産はことごとく東インド会社の手に渡り、同社からビクトリア女王に献上されたのです。

 

この時から、持ち主に残忍さと不幸の種をもたらすイメージがつきまとっていたこの石も、女性には幸せを運ぶ石として信じられて、イギリスの象徴的な財宝として、女王たちの王冠を飾ることになります。

 

そして、東インド会社創設250周年を記念して「コーイヌール」は、厳重な警備のもと、海路でイギリスに輸送され、1851年の万国博覧会の会場であるクリスタル・パレスで一般に公開されます。

 

再カットで名声を博す

しかし、カットされた当時のインド式の技術では輝きに乏しく、人々はこのダイヤモンドにあまり感動しませんでした。

 

そこで、ビクトリア女王はアムステルダムから有名なカット職人であるヴールザンガーを呼び寄せ、再カットに1ヶ月以上を費やして「コーイヌール」の重さは、186カラットから108.93カラットに減りますが、すばらしい輝きを得て、以後「コーイヌール」は世界的な名声を博するダイヤモンドになるのです。

 

その後、一説には、ビクトリア女王はこのダイヤモンドを男性の国王が相続する時は王妃のみが使用するように遺言したといわれていますので、ビクトリア女王は、この”コイヌール”を息子のエドワード皇太子妃となったアレクサンドラ(デンマーク王女)に譲ります。

 

彼女は夫のエドワード7世の戴冠式の時に身に着けましたが、1911年には、またその息子(ジョージ5世)の妃であるメアリー女王の冠にセットされていて、さらに、1937年のジョージ6世の戴冠式の時、妻のエリザベス1世(現女王の母)の冠に移されますが、今は厳戒体制のもとに一般公開され、ロンドン塔の王室コレクションの展示室で、まぶしい輝きを放っています。

 

※”コイヌール”が発見された詳しい状況や最初のカットが行われた年代と場所を知ることは、まず不可能ですが、18世紀までダイヤモンドはインドでしか産出されなかったので「コーイヌール」はインド南部ビジャープルの鉱山から採掘されたと考えるのが妥当だと思われます。

 

そして、17世紀にフランスの旅行家であるジャン・バティスト・タヴエルニエがインドへ行き、ダイヤモンド鉱山に関する信頼できる情報をもたらすまで、ヨーロッパの人々にとってダイヤモンドはきわめて神秘的な存在にとどまっていたのです。

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