エリザベス テイラー 女優のダイヤモンド
名優と女優のストーリー
20世紀の後半で、ダイヤモンドの魅力、特に大粒のダイヤモンドの魅力について世間の関心を集めることに、リチャード・バートンとエリザベス・テイラーほど役立ったひとは少ないかもしれません。
このふたりのダイヤモンドをめぐる取引は、世界中の人々の関心を集めて、両者の名前を取って付けられた、”テーラー・バートン”は、リチャード・バートンがエリザベス・テイラーの40回目の誕生日を記念して贈った世界的に有名な研磨済みダイヤモンドでした。
なお、リチャード・バートンがエリザベス・テイラーのために、最初に購入したダイヤモンドは、33.19カラットのクルップ・ダイヤモンドで、これはかつて、ドイツの武器製造企業グループであったクルップ社の総師の離婚した夫人の所有であったダイヤモンドで、エリザベス・テイラーは、このダイヤモンドを指輪にして使っていました。
テイラー・バートンの命名
やがて、ニクソン大統領時代の駐英アメリカ大使であったウオルター・アンネンベルグ氏の妹であるハリエット・アンネンベルグ・エイムズ夫人が、69.42カラットあるペアシェイプのダイヤモンドを競売で売却するためにニューヨークのサザビー・パーク・バーネット社に依頼します。
このダイヤモンドの販売条件として、買い手は自分の名前をこのダイヤモンドにつけても良いとされていて、これが後の”テイラー・バートン”になります。
なお、エイムズ夫人は、このダイヤモンドを1967年にハリー・ウインストンから購入していて、その前年に、ウインストンはプレミア鉱山で発見されたブルーホワイトの原石からこれをカットしていて、その原石は実に240.80カラットもあったのです。
そして、競売に先立って競売会社は、このダイヤモンドをスイスまで運んで、テイラー・バートン夫妻が自ら調べることができるように手配を行います。
新聞が伝えたところでは、このダイヤモンドに関心を示したひとのなかには、かのジャクリーン・オナシス夫人(ケネディ元アメリカ大統領の妻)も含まれていたとのことですが、最終的にはカルティエが、記録的価格である105万ドルで落札し”カルティエ”と命名します。
しかし、落札をめぐって激しく争ったリチャード・バートンはこのダイヤモンドをあきらめずに、その後もカルティエと交渉を行い、カルティエは売却に際して、このダイヤモンドをニューヨークとシカゴで公開することを条件にすることでリチャード・バートンは110万ドルでダイヤモンドを手に入れ、当時妻であったエリザベス・テイラーにプレゼントしています。
これらの経緯によって、ダイヤモンドは正式に”テーラー・バートン”と呼ばれ、ハリウッドスターであった両者の名前が付いたことで世界的に有名となりました。
世論の注目を集めて
この騒ぎについて、ニューヨークタイムズ紙には、
「100万ドルのダイヤモンド」というタイトルのもと、極めて辛らつな記事が次のように掲載されます。
「今週、リッツ・ホテルほどもあるダイヤモンドに。ぽかんと見とれる大衆の群れがカルティエの店を取り巻いて、このダイヤモンドはリチャード・バートン夫人の首に付けられる予定とのことです。誰かが言ったように、昔の王妃のようにギロチンに向かう死刑囚運搬車の上でこれを着けたなら、さぞかしすばらしかったろうに」
※これはフランス革命時のマリー・アントワネットのことを例えたものです。
フィナーレ
1978年、エリザベス・テイラーは、”テイラー・バートン”を売りに出して、その収益の一部をボツワナに病院を建てる費用にあてたい、と発表します。
翌年、ニューヨークの宝石商、ヘンリー・ランバートは、300万ドルで、このダイヤモンドを入手したことを公表し、最新の情報としては、現在はサウジアラビアにあるとのことです。